居喪之禮
居喪之禮
毀瘠不形
視聽不衰
・
喪におるの礼は
毀瘠あらわれず
視聴おとろえず
・
喪に服する場合の礼には
どんなに嘆き悲しんでも
痩せ衰えて
骨をあらわすほどにはならないこと
また視る力や聴く力が
衰えてしまわないように
気をつけなければならない。
父母から受けた身に
無理をさせてまで
喪に服するのは、
不慈・不孝であるのと
同じことなのである。
(中国古典新書『礼記』明徳出版 下見隆雄)
大切な人を
自分のせいで死なせてしまったと
懺悔し、後悔し、
苦しみ、悲しみ、泣きはらしても、
今、自分が生きているからには
次の一歩を踏み出さなければならない。
けして忘れない。
その為に「礼」があるのかと思うほどに、
今まで
「形だけ」と思っていた儀式形式
ひとつひとつをこなすと
単なる自己満足とはいえ
少しずつ
「心」が落ち着いていく。
痛みも、悲しみも、全て受けとめる。
大切な人との出会いに感謝
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